Imperfections are perfect 不完全であるから完璧だ

 静けさにつつまれた空間のなかで、私は筆を手に取り、墨に付け、大きく息を吸った。筆は半紙のうえを左、右、上、下、と渡り、真っ黒な墨が白い半紙にしみていく。私は、先生のお手本を見ながら、自分の作品も先生と同じようになるよう、はね、止め、字のカーブも注意深く真似る。書き終わった後お手本と比べて、自分なりに満足した後、先生に見せにいった。先生は、修正用の赤い墨を筆につけ始めたが、それを置き、しばらく黙って私の作品を眺めたあと、「真似をしないで、自分らしさを出してごらん。」と私に言った。

 9歳の時、書道を始めた。アメリカで育った私は、漢字を覚えるのが苦手だったが、書道は、アート感覚で親しめた。日本で長い間、書道家をして活動をしてきた日本人の先生は、「書道は、自分の精神の内面が伝わらるものでなければならない。」と教えてくれたが、小さい頃の私ははその意味を理解できなかった。私は、ただ単に大きな「絵筆」で日本語の文字を書くアート感覚が面白かった。しかし、時間が経ち、私も成長するにつれ、字を上手に書くというスキルだけではなく、自分らしい作品を仕上げるという意味が少しずつわかってきた。先生は、「自分の心、精神の内面を作品に表す」ということを何度も繰り返し教えてくれた。 「完全でなくていい。不完全さはあなたのスタイルをユニークにし、書道の芸術を美しくするものです。」と、先生は私に伝えてくれた。徐々に、私は先生の見本のコピーをやめ、代わりに筆と墨を使って、自分らしさ、自分の精神が感じる感覚を白い紙の上に伝えられるように努力した。

 書道という日本の古典的な芸術を学ぶことは、日本人の両親のもと、ニューヨークでJapanese Americanとして生まれ育った私にとって、私のルートである日本の文化とのつながりをより深めてくれたと思う。書道を学ぶ過程で、私は、アメリカの文化とは異なる日本の文化の価値観を学べた。アメリカの文化、または教育制度は、個人の違いを尊重する一方で、自分がベストになること、そして、パーフェクトになることを称賛する。勉強でも、スポーツでも、音楽でも、完璧になり、ベストになることが一番だと教えられる。または、そのように感じる教育制度になっている。だが、書道を通して学んだ日本の文化は、私に自分の不完全さを認め、受け入れさせてくれた。自分を「パーフェクトな周りの人々」と比較するのではなく、自分の気持ちを内側に向け、内部に平和を見つけることを教えてくれた。静寂な空間の中で書道という自分のアートを作成するとき、私は自分の不完全さを感じ、認めて、それを自らの精神的な成長につなげられることを学んだ。

 私は、100%アメリカ人でも100%日本人でもなく、日本人のバックグランドを持つJapanese Americanだ。日本の文化を理解して、そこから得た価値観が今日の私を作ってくれた。私は、決してパーフェクトな人間ではない。不完全であることは自分らしさだ。不完全であるからこそ、私は人間として完璧である。