「愛」の正体

昨年、離婚をした。どの離婚もそうであるように、決して美しい離婚ではなかったものの、さっぱりとお別れし、今は人並みに落ち着いた。終わってみて、1年経つごろから、結局はあれは自分の人生において必要なことだったのだろうと思うようになった。

5年そこそこの結婚生活ではあったが、「愛とは何か」「人と家族を築くということは何か」を学べたし、そこに対して自分がどれくらい未熟でまだまだ学ぶことが多いのかというのも理解できた。(この領域において完璧な人はいないんだろうということも)

そして、働く女性にとって、結婚というのは実はやっかいなものだということも気づけた。

例えば、結婚しても今まで通りに働くことは?

もちろん可能である。今のご時世、専業主婦になってほしいと切望してくる男性の方が少ないのではないか。

もちろん子供が生まれたら今まで通りというのは物理的に不可能になるのだろうけれど、結婚しても生活は変わらない。

ただ、結婚して気づいたのは、オットというのは本音をうまく言えない生き物のようで、それは隠しているとかではなく、本音自体に気づくことができていない、それを言語化する習慣がない、ということだった。

しかも彼らの父親世代はバリバリの昭和男子であり、その彼らの背中を見て育っている男性はよほどのことがなければ、どこかに「女性は家」という方向性を持っている。(育った環境によっては反対の方もいるが、もちろん。)

だから本音(というか深層心理)では「結婚したのだから、少しは落ち着いてほしい」「ツマとして、家のことをやってほしい」とどこかで思っていても、そんなことは時代が言わせない。この時代に生きるオットとしてそんなことをおくびにでも出したらダサい、という認識もある。だから言わない。

オットたちも、大変。

彼らは急激な世の中の変化に遭い、この板挟みに遭っているんじゃないかと。さらに結婚生活というのは毎日のことで、ささやかな板挟みがじわりじわりと頭を締め付けていくわけで、気づけば大きなストレスになっているのかもしれない。

私の場合、元夫はこのタイプだった。口では私を応援してくれていたし、そんな彼を尊敬して結婚した以上、今更「とはいえ、家庭を優先して」とは言えなかったはず。でも彼の心の中の「理想の家庭」には、外でバリバリ働く女性というのは登場人物として存在していなかったのだろう。

でも私はそれに気づけなかったし、彼もまた、結婚してしばらく経つまではそれに気づけなかった。

これって、と私は今だから思う。これって、結婚生活だけにとどまらず、人同士の付き合いの中ですごく大事なことなのではないかと。どういう関係性であれ、

 -自分への理解を常にアップデートする

 -相手への理解を深める対話を怠らない

という自分と相手の努力をし続けることが重要で、付き合ったから、結婚したからといって、その立場に安穏としていてはいけないのだろう。

常に相手のことをよく理解しようとする、どんなに理解したつもりになっていても、理解しようと声をかけ、対話する。これが「愛」の正体なんじゃないかな。